奥の細道鳥海ツーデーマーチ

きっかけは突然

毎日の日課である通勤のウォーキングを始めてほぼ1年がたつ。7キロ弱を1時間で歩くペースだが同じコースをいつも歩いていると殆ど小脳が行動を決定してしまうようだ。信号の連動のタイミングを体が覚えているので殆ど信号に引っかかる事も無い。運動としては効果的だがウォーキングとしてはつまらない。

その日は9月4日の木曜だった。もう9月だという事にふと気づいた。気温もちょうど歩きやすく気持ちがいい。しかも明日は金曜でいよいよ週末だ。今度の週末はどこを歩こうか?葛西臨海公園にでも行ってみようか?ワクワクする。週末のウォーキングプランを考えるのはいつも楽しい。

そう考えながらいつもの時間に会社に着いた。着替えとストレッチを済ませて席に着く。PCの電源を入れてまずはいろいろなサイトをチェックする。そんな普通の朝だがその日はちょっと違ったようだ。

もう9月だぞー秋のシーズン開始だよー日本3DMももうすぐだーこの時期は全国あちこちでイベント盛りだくさんだぞー色々な思いが頭に浮かぶのだ。やはり今朝9月である事に気づいたのがすべてのきっかけになったようだ。

ひさびさにJWAのサイトをチェックする。気が早いもので日本3DMの案内がトップにあった。ところで9月のイベントスケジュールはどうかな?とチェックしてみる。む!今週末にJML鳥海があるではないか。

しかし東京から山形はあまりに遠い。東京日本高崎河口湖までならなんとか通えるが、鳥海は泊まりが必須だ。しかもスタートは明後日だし、今から足や宿の手配も面倒だ。一時はあきらめる。しかしこのサイトを見た時点で内心でもう参加を心に決めていたのだろう。

のりちゃんのサイトに移動する。見なければ良いのに鳥海のレポートを見てしまう。とても素晴らしいと総評がすぐに目に入る。うーんやっぱりそうだろう。すばらしい自然の中を歩くコースが素晴らしくないわけがない。いつもコンクリートの中を信号のタイミングを計って歩いているウォーキングとはあまりにギャップが大きいレポートだ。

よしちょっと問い合わせだけしてみようか。どうせ週末で今からの予約では足や宿を確保するのは無理だろうな。一杯だったらやめよう。都内でもちょっと足を伸ばせば自然に触れ合えるさ。そう思いインターネット経由で手配を開始した。運とは面白いもので行動を起こすものにのみ与えられるようだ。奇跡が起こった。

遊佐への長い道

都内から遊佐への交通手段はいろいろあるが問題は出発する時間だ。金曜の午後は運悪く色々な会議や約束がひしめき合っている。幸いな事に4時開始の簡単な会議が最終のアポだったので会社を4時半には出発する事ができそうだ。しかしいろいろな意味で遊佐は思ったより遠かったのだ。

インターネットを利用して路線を検索する。しかしこの時間に会社を出ると電車では間に合わない。飛行機を利用して秋田経由で五時間かけて遊佐に入るしかないのである。ずいぶん遠回りだ。本来は庄内空港経由で行くのが最短だが最終便に間に合わない。なんだか行く気が急速に萎んでいった。

金曜の夕方の便は混むのが常だ。だめ元で予約ページを開く。なんと秋田行きの最終便がたった1席だが予約可能だったのだ。何も考えずに素早く操作をして予約を完了させてしまった。実はこれが今回のツアーに参加できた最初の奇跡だったのである。

もし満席ならその瞬間に参加を諦めていただろう。また空席が豊富にある状態であれば少し考えてみようと思うだろう。時間が空けば宿が手配できない状況に気がついて結果的に行かない事になっただろう。1席だけ空いていたので余計にあせってしまい衝動的に予約させられてしまったのだ。

次は宿だ。事務局に電話をして宿を紹介してもらったが全て一杯だった。中には事務局を通じてしか予約を受けない宿もあった。結局自分でインターネットで遊佐の宿泊施設を検索して偶然に鶴屋旅館にめぐりあったのである。4人の相部屋ならOKとの事だったので即決した。ちょうど最後の一人だった。

現地で鳥海2DMのパンフを見てみると鶴屋旅館はちゃんと事務局が斡旋する宿のリストに入っていたが事務局の担当者は何故か紹介してくれなかった。その理由は事務局は鶴屋旅館に空があるとは思っていなかったのだろう。結果的にこの旅館はウォーカーにとって最高の宿だった事は後のレポートにて報告するつもりだ。この出会いもある意味では奇跡だ。

金曜日の4時からの会議を超スピードで終了させて私は会社を後にした。しかし運が悪いことに飛行機の出発が30分ほど遅れてしまったのだ。このままでは空港から秋田駅行きのバスに乗れないので、結局は秋田発の遊佐行きの終電に間に合わない公算が大きくなってしまった。がっかりしたがとにかく行ってみようという事で秋田まで行ってみる事にした。

なんと秋田空港ではバスが出発時間を過ぎても我々の便の到着を待っていてくれたのだ。そこで運転手さんに終電に乗る旨を話すとギリギリだけど間に合わせるとの返事だった。今回のツアーを象徴する状態だと言える。すべてが綱渡りなのだ。この腕の良い運転手のバスに乗れたことも奇跡だろう。

結果的に5分の余裕を持って秋田発の遊佐行き最終電車に乗ることができた。1時間30分後には遊佐に無事に降り立つことができた。これでやっと参加できる目処がついたわけだが、すべてが偶然でうまくいったと思う。どれ一つ欠けても参加を見送っていた事だろう。結局私は遊佐に猛烈に行きたかったのだろう。それで食らいついて何とか運を引き寄せて遊佐に到達出来たのだと思う。私はこれを奇跡と呼びたい。

遊佐駅に降り立った私を待っていたのは大粒の雨だった。旅館に着いて寝たのは日付がかわった頃だった。いよいよ明日は鳥海山とのご対面だ。

町ぐるみの歓迎

鶴屋旅館の朝は慌しかった。宿泊者全員がツーデー参加者で早朝から準備に余念が無い。しかも殆どの客はリピーターであり勝手を知っている様子で初めて宿泊する私はちょっと圧倒され気味だったが、しかし今回の2泊の滞在でこの鶴屋旅館にリピーターが多い理由がわかったような気がする。

まず旅館から町民体育館までは田んぼのあぜ道を通ってわずか3分だ。この近さは何物にも代えがたい便利さである。またゴールの時間に合わせてお風呂が昼前から入れる状態になっているのもうれしい。二日目の朝には当然チェックアウトするのだが実際には夕方までに出ていけば良いのである。

従って二日目にゴールした後に歩いて3分で宿に戻りお風呂に入って着替えをして荷物を整理して会場に戻るも良し駅に向かうも良しなのだ。実にウォーカーの行動パターンを考えたサービスであり手馴れている。ある意味で町をあげてイベントに協力している一つの実例だと思った。

鳥海ツーデーマーチ自体のレポートはとんぼさんをはじめとして皆さんから上がっているようなので私はちょっと違った視点でレポートしてみたい。まず運営体勢だが関係者の皆さんが実に楽しそうに運営していた。また遊佐高校の生徒諸君の全員が運営に参加されていたし小学生のブラスバンドも登場して雰囲気を盛り上げていた。とにかく町をあげて歓迎してもらった運営だった。

7時の40kmのスタートを手拍子で見送って後に8時の25kmの出発式に参加した。国際市民スポーツ連盟(IVV)会長が飛び入り参加して挨拶をしていたが、通訳の方の訳は会長の挨拶の内容をうまく通訳されていなかったのが残念だった。出発後私はしばらく会長夫妻にぴったりついて歩いていたがさすがにかなりの健脚で先頭を切って歩いていた。さすがIVV会長は伊達ではない。

今回の25kmの先導の旗持ちの方としばらく話しながら歩いた。なんでも2年ほど前に先導を間違ってしまってかなり参加者を遠回りさせてしまった経験をお持ちで今回の先導にはかなり気を使っていた。まあそれもコースだと思えばそれでいいのではと思うが、ここでも運営側の気遣いが伝わってくる。旗を持ち後ろを見ながら時速6キロ程度で歩くのはさぞかし大変だろう。

コースは景色も良く給水や接待もスムーズで楽しく歩けた。皆さんのゼッケンを見ながら色々とお声がけしながら歩いたのであっという間にゴールできた。私のゼッケンには札幌と書いてあるのでパスすると大抵は皆さんに後ろからお声がけしてもらえる。普段は信号と車の動きを追いかけながら朝の通勤で急いでいる人々の間をぬって歩いているので、話しながら歩けるだけでとても嬉しいものだ。

ゴールの後は旅館に戻り軽く風呂に入って会場に戻った。夕方のレセプションに出てみようと思ったが、すでに当日分のチケットが入手不能で参加を断念してテントでビールを飲んでいた。このビールが最高にうまかった。今日も気分が良い。これほどの素晴らしい休日の過ごし方は他には無いだろう。

テントも撤収を開始したので旅館に戻って休憩後に夕食だ。もちろん全員が参加者なので夕食は今日のコースのレビューとウォーキングへの思いを肴に宿泊者同士が宴会で盛り上がった。こんな宿泊者同士の交流も鶴屋旅館の魅力なのかもしれない。結局調子に乗ってビール大瓶3本にお銚子を2合ほど飲んでしまったので部屋に戻ってぐっすりと眠りについた。

私は東京から急に参加した一人ぼっちの参加者だったが、遊佐の町とそこに集った皆さんが素晴らしい歓迎をしてくれたのだ。明日こそは鳥海山を見れそうだ。

さよなら遊佐

鳥海も2日目の朝である。メイン会場にはすでに多くのウォーカーが集合していた。今日は帰りの便を空席待ちするために30kmと一緒にスタートさせてもらった。20kmと30kmが入り混じり月光川の堤防道をすごい人数で行進している様はまさに圧巻だ。

早速オレンジ隊を発見!初日は部分的にオレンジのユニフォームだったが今日は全身オレンジなので極めて目立つ。この大勢の中で歩きながら自分のアイデンティティーってなんだろうと少し考えてみた。やはりウォーキングの最中は感傷的で哲学的になるらしい。

私のウェアは昨日と同じナイキのドライフィットというトレーニングウェアである。色は濃紺で軽く汗の乾きは極めて早いがなんとも目立たない。しかし服装で目立つにはオレンジ隊レベルの強烈なインパクトが不可欠だ。私のセンスでは無理そうなのでこの方法はすっぱりあきらめる。

面白いと思ったのは大きい折鶴を二つマスコットとして背負っている方がいた。これはすばらしいアイディアだと思う。また帽子に数え切れないくらいの参加記念バッジをつけている方もいた。しかし自分にはそんな沢山のバッジは無い。

自分も特徴を少しでも出すために、なるべくその時に偶然に縁があって近くを歩いている方々に声をかけていこうと思った。いわば会話をアイデンティティにしてみたいと考えたのだ。

30kmとの分岐をすぎるとウォーカーがぐっと少なくなりスピードも幾分早めになった。登りが続いていたので会う人ごとにお声がけしてみるが皆苦しそうで話が長くは続かない。そんな中で飯田から参加されている女性の方と10分ほど話しながら胴腹滝への道を登っていった。この方は飯田やまびこマーチの際に山小屋で毎年接待をされる方だった。来年の再会が楽しみだ。

胴腹滝への通路に「本日はウォーカー優先でお願いします」という張り紙があった。普段この胴腹滝を利用している地元の方へ「ウォーカーに先に飲ませてあげてくださいね」という主催者のお願いが込められているのだ。またここでも鳥海の優しさに触れて気分が良くなった。こうした接待はどんなご馳走よりもおいしく感じる。

見晴らしの良い山麓を下ると遊佐の町と日本海が一望できた。町民体育館が見えている。ゴールはすぐそこだ。今回はとうとう鳥海山は姿を見せてくれなかったが「来年また来い」というメッセージだと受け止めた。

木曜に思いついて金曜の夕方から始まった綱渡りの非日常的で忘れられない旅は2日目のゴールと共に終わった。ゴールの瞬間から現実に引き戻されて積み残してある仕事が頭をよぎる。一刻も早く東京に戻り資料を整理してレポートを書き上げ月曜の会議の準備をしなくてはならない。

夢心地の感傷的ウォーカーから現実的な企業戦士に戻った私は素早く帰り支度をして11:33の遊佐発に飛び乗り庄内空港で空席待ちをして午後3時には羽田に到着していた。翌朝の通勤ウォーキングはいつもの道だが、なんだか妙に足取りが軽かった。また歩きに行こう。今度もすばらしい仲間に出会えそうだ。

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