■第1章 参加までの長い道のり

・大会参加への目覚め

ナイメーヘンのフォーデーマーチといえば世界最大規模のウォーカーの祭典でありウォーキングのオリンピックとも言われ89回という長い歴史を持つ大会です。ウォーカーならばいつかはナイメーヘンを歩きたいと考えている方も多いと思います。もちろん私もその一人でした。今回晴れてその夢を実現できたのですが、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。

始まりは2003年の秋に息子と二人で日本スリーデーマーチに参加した事でした。その際には30kmを三日間歩きましたが大きなトラブルもなく楽しく完歩出来ました。息子との水入らずの三日間は本当に楽しい時間でした。それまで私は一人で寂しく歩いていた通勤ウォーカーでしたがウォーキング大会という新しい世界を体験して、その後はその感動を求めて各地のJML大会に積極的に参加してなんとかマスターウォーカーまで頂くことが出来ました。

・本当は去年に行く予定だった

この頃の私は大会に参加して知り合いに会う事が楽しみで嬉々として全国に出かけていきました。長距離を歩くことなんて簡単だとウォーキングをわかったような気になっていました。勢いに乗って勘違いした私は無謀にもいきなり2004年のナイメーヘンに参加する決意をしてしまったのです。しかしその頃の私は長距離ウォーキングを甘く見ていました。今になって考えるとまるっきり無謀な決意だったのです。

早速マイレージを利用してアムステルダム往きの国際線を手配しました。その日のうちにホテルもインターネットで探したホテルを速攻で予約してしまいました。早い時期でしたのでナイメーヘンのホテルも簡単に予約を入れる事ができました。

・アメリカでの悲劇

仕事の関係で突然アメリカに赴任する事となり軽い気持ちでアメリカに住み始めました。不規則な生活で食べ物のカロリーや分量が半端ではないアメリカでしばらく暮らすと自然と体重が増加していきました。せっかく日本でのウォーキングで80キロ台前半まで下げた体重があっという間に90キロ台になってしまったのです。

またアメリカでの仕事が思ったよりも忙しくなって仕事のスケジュールの関係でせっかく予約したナイメーヘン行きをキャンセルする羽目になってしまいました。しかしこのキャンセルは正解でした。もしそのままの状態でナイメーヘンを歩いていたら惨めな負け犬になってしまっていた事でしょう。キャンセルは残念でしたが今考えるとラッキーでした。

・2004年日本スリーデーマーチでの挫折

ナイメーヘンには行けませんでしたがやはり東松山はウォーカーにとって年に一度の祭典です。日本スリーデーマーチを歩くためだけに日本に戻ってきました。すっかりナイメーヘンで50kmを歩くつもりだった私は迷わず50kmを三日間歩く事にしました。

しかしアメリカでのなまった生活ですっかりお腹が出っ張ってしまって体重も増加した上にろくなトレーニングもせずに50kmを歩くというのが無謀でした。初日は体力もあり気力も充実していたのでオーバーペースで歩いてしまい意外とあっさり終了しましたが夕方は入念なストレッチもせずにビールで乾杯、そのため二日目は筋肉痛になってしまいサロンシップで痛みをごまかしてなんとか完歩するも持病のマメに悩されました。三日目には全く悲惨な状態になってしまい殆ど歩けない状態になってしまい惨めな思いを残してしまいました。

・新たなる決意

明らかな準備不足を痛感して改めてナイメーヘンで50kmを四日間歩くという事の困難さを身をもって理解した私は自分の甘さに腹が立ちなんとかこの大きな壁を乗り越えてみたいと考えました。自分で目標を設定してそれに向かって努力してそれを達成する事こそ大人の楽しみであると考えたからです。

ナイメーヘンを絶対に完歩したい。ただ完歩するだけではなく余裕を持ちながら楽々と歩きたいと決意しました。その為に色々な研究やトレーニングを通じてウォーキングの世界をさらに深いものにしていきたいとも考えました。しっかりと準備をして悔いの無いナイメーヘンにしたかったのです。うれしい事に年末にアメリカでの任務が終了して日本へ戻ってきました。さあこれからナイメーヘンの四日間に向けてのトレーニング開始です。

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