20日目は、城田(ソンジョン)〜長興(チャングン)28キロ、です。この日も小雨模様。すっきりとしない日々が続きます。苺栽培(?)のビニールハウス群の脇をゆく一行。しっかりとパトカーが護送もとい警護してくてています。
この日は、距離が短いこともあり、途中で韓国の詩人金允植(号:永郎)の生家を訪ねました。
今日も、一日、小雨の中のウオークです。路傍の桜草に心を癒されて、足取りもしっかりとしています。
長興の街に入る耽津江に架かる橋に翻る万国旗の日の丸の下を歩く、李茂夫(イ.ムブ)さん、李恵美子さん、アンカーの遠藤事務局長。
長興では、出迎えてくれた郡廳の観光課長さんを囲っての職員の方たちと記念撮影。
19日目は、木浦(モッポ)〜城田(ソンジョン)37キロの長丁場です。天候は、生憎の小雨模様。昼間は本降りが予想されているので、雨具をしっかり装備してスタートです。画像は、木浦のマンション群を背に榮山江の河口に造られた防潮堤の上を歩く一行です。
木浦からは、国道2号線(木浦〜釜山)に沿って進みます。韓国は日本と違って車と人は同じ方向を向いて歩きます。対面交通ではありません。国道を歩くときは、一列に隊列を組み、白線で区切られた歩道(?)を歩きます。時折、大型のトラックやバスが、通り抜けていきます。(コワッ!)
城田での宿舎は、唯一のモテルが潰れてしまったため、なんと、友情ウオークの会初体験の民宿となりました。城田面自治センターが運営する韓国の子供たちへの農業体験民宿です。画像は、民宿村のメインストリートです。
画像は、私の泊まった民宿の部屋。農家の一室を改造した二人部屋で、ドアの奥に洗面・トイレ。荷物を広げると、ギリギリの広さ。かつ、この部屋は、卵がころがります。
女性たちは、全員民宿を嫌い自治センターでの雑魚寝を選択。日本人・韓国人入り乱れて(?)の一晩です。画像は、各地に点在する農業体験民宿を管理する女性を囲んでの記念撮影。
18日目は、務安(ムアン)〜木浦(モッポ)、24キロの行程。薄曇りで日差しは強くないものの、昼間の気温は高くなりそうで、水分補給をこまめに歩きます。隊員のの疲れもかなり溜まってきていて体調がなんとなく思わしくない人も少なくありません。それでも、一歩前進とばかり、元気を出して、務安の街中をスタートする一行です
途中で、フッと空を見上げると、前途に薄らとですが“彩雲(虹色に輝く雲)”見えます。“彩雲”は吉報の現れ、何か良いことがありそうです。
木浦に近づくと、満開の桜並木が出迎えてくれました。気温もさほど上がらず、国道1号線の旅も終わりに近くなりました。
木浦には、少し早く到着したので、日本隊の有志で“木浦共生園”を訪問しました。“木浦共生園(社会福祉法人崇實共生福祉財団)”は、キリスト教伝道師尹致浩(ユン.チホ)さんが1928年に親を失った孤児7人と生活を共にしたことから始まり、後に、高知出身の田内千鶴子さんと結婚しました。千鶴子さんは、尹さんが動乱中に行方不明になっても帰国せずに子供たちを育てました。その労が認められ、韓国文化勲章、木浦市民賞、そして、日本の勲五等宝冠章を受賞しました。現在までに、4千名の子供たちが巣立っています。『愛の黙示録』(日韓共同映画)が作成されています。画像は、7代目園長を囲んで。
木浦共生園へ行かれたのですね、それは良かったですね。7年前を思い出しました、園長先生ちっとも変っていないですね。7年前にいるのは遠藤さんただ一人ですね、オッパーも今年の写真の中に入りたかったです。
宣会長の報告から。韓国一周W21日目は、強風と暴雨のなか宝城から西筏橋まで31キロ本当に大変でした。雨にも風にも負けづ先頭を歩く旗手の押川さんと康静春さん。今日23日は、1ケ月後アジアンピアードが開催される順天到着ですね、明日は休養日ですのでゆっくりしてください。
地元警察のパトカーに守られながら、1列に隊列を組み、国道1号線を安全第一で進みます。
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