火野葦平は「糞尿譚」で芥川賞を受賞した。かめさんの「糞尿譚」は吉本興業のネタに使われるだろか。
かめさん退院おめでとうございます、まずは一安心ですね。入院中の経過を毎日写真館で拝見してましたが、何人でも出来ない行動かと思っております。病に立ち向かう精神力、闘争心には頭が下がります。退院して環境が変わり、1日も早い快気を祈ってます。又、以前の歩けの神様に戻って元気に歩きましょう。
病院食最後の朝食です。 たくあんが初めて出ました。しかし薄い! お茶漬けが美味かった!
ホホエミさん、ありがとうございます。 今日10時に退院しました。入院7月16日 退院8月22日 一ヶ月以上の入院生活でしたが冷房完備のベッドで過ごす事が出来ました。シャバはやはり暑いですネ。 昭和病院前で蓄尿袋を手のかめさんです。
自宅まで約1Km、初の屋外ウォークです。炎天下 オッパー帽が役に立ちました。 お馴染みの500選の道「小平グリーンロード」にて。 パソコンを背負って・・他の荷物は嫁さんに全部車で運んで貰いました。
かめさん明日退院だそうでおめでとう御座います。私も50代の時に尿管結石で入院して破壊手術をした時は4〜5日パイプをぶら下げチョコレート色した尿が袋に溜まったものです。泌尿器科は皆同じような患者で同士だなと感じました。最近は医療が発達したのか意外と早く退院できますね。今週末はいよいよ「おろち」です。まだまだ暑いですがオッパーと楽しんできます。夏の花向日葵を貼付します。
昨日午後 尿道チューブを二股部から切り離し 初めて自由の身になったが、尿意をもよおしてからのコントロールがままならず、毎回漏らしてしまう事態に。やむを得ず夕食後からまた受尿袋との接続を・・。その後朝までの尿の量は約600cc。 12年前の時には退院後は受尿袋とお別れし、自宅では尿意を感じてから便器前でクサビを外しシャーッ・・と何ら問題無かった。 今回は尿意の感じ方が全く違う。ツーンと刺激性のある尿意であり、突然襲われる。周期性も無く、コントロールが全く効かない。 現在 尿道には膀胱より先端までチューブが貫通しており、垂れ流し状態であり、コントロールが効く筈もない。 しかし、以前の時の尿意は正常の時と全く同じであり、排尿までの時間的余裕は十分あった。 とにかく今はチューブは外せない状態である。
そもそも事の始まりの「脊柱管狭窄症」の話であるが、大腸がん手術後の絶食期 流動食期 の頃、腸の活動を促す院内歩行をやっていた時期・・体力も無かったせいもあるが、まともには歩けなかった。左足の疲労感が酷く、歩行中何度も立ち止まっていた。 それが通常食になってからか・・院内歩行も何の問題も無くスタスタ歩ける様になった。 脊柱管狭窄症が治った?? その後、意識的に早足で歩いても何ら問題も無い。 しかし、たかが院内歩行であり、屋外と違い半信半疑だった。 もし、治っていたらその原因は? この話は担当医にも話していた(もし脊柱管狭窄症の手術をする様ならチューブが入ったままの方が都合が良いと)が、原因は体重が減ったせいでは?・・と。 しかし、かめさんはベッドのせいではないかと思う。 かねてより女房に今使っているベッドは20年以上も使っており、バネがヘタって腰には良くないのでは・・と言われていた。 病院のベッドは確かに硬い。 レントゲン撮影の際の横になる硬い台に仰向けに寝た際に、背骨の曲がりがハッキリ自覚出来た。 それを女房に話すと早速留守中に硬いベッドに買い直したと。 今日、受尿袋を手に初めて院内歩行ではなく、4階から階段で1階に降り、また4階迄登ってみた。左足の指先にチョット痺れを感じた程度で昇れた! 駅の階段や歩道橋の階段でふうふう言っていたかめさんである! 間違いなく脊柱管狭窄症が治りつつある! と実感した今日でした。 手術をしなくとも、リハビリストレッチで治りそうな感じがして来ました。 今、階段を昇った汗がヤット収まったところです。 シャワーの予約時間は5:30で未だ先です・・。パジャマの上着を脱ぎ、ランニングシャツ姿でパソコンに向かっています。
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